友達と仲間の間~よく眠る保守派のタンナとよく喋る急進派のc~
私が彼女と話した時、悪意はないがどっかに消えてほしいと思った。
(特定回避のため年齢や時期を変えています)
紹介された合わないアイツ
初めての教会から逃げて数か月後。
(↓ここから逃げるまでのお話を見れます)
私はすでに別の教会に移動していた。
とはいっても、洗礼を受けていなかったので移動は簡単だった。
今度の教会は少し遠くに離れた場所にあった。
そこはかなり進んだ教会で、礼拝以外で地域に根差し積極的に交流することを目標に頑張っていた。
活発な活動にそれを支えるだけの人材に後押しをする牧師夫妻。
一見すると完璧な教会だが、一つ問題があった。
それは教会と私の考えがあまりにも乖離しているという問題だ。
問題の原因は、前所属していた教会は伝統的な教えを守る教会だったということ。
初めての教会がそういう教えだったので、私はそれ以外の思想を知らない。
ただ、私的にも最初の教会の思想は受け入れやすかった。
覚えることはたった一つ。
聖書から逸脱した思想を持ってはならないということ。
いわゆる家父長制の教えが強く、学校教育をすでに10年以上受けていた私はすんなりとそれを覚えることができた。
とにかく、聖書からひどく逸脱した行為はしない。
それをベースに人を傷つけることを言わない・しない。
これを念頭に生活していた。
そのおかげか「優しい」と人から言われる、それが私の自慢だった。
そのためには自分を厳しく律して、感情以上に理性で判断する癖をつけて、見本となるような大人でないといけない。
全ては人に優しくするため。
なのだが、今度の教会では伝統的な聖書基準の思想に加えて教会の社会的なあり方についての思想が追加されていた。
その追加された部分がどうにも社会に併合しているようで我慢ならなかった。
私はその考えを否定するつもりはないが、聖書的な考えを守って世の中の人に知ってもらうことをそれ以上に重視していた。
聖書的な教えをきちんと伝えれば誰も傷つかないと前の教会で教えられたから。
だから、多少のぎくしゃくは受け入れるつもり。
教会で若干浮いてはいたものの、私は自分を曲げることなく教会生活を送っていた。
日曜日には少し早めに教会へ行き、礼拝を受け、昼食を食べて帰路へ、帰り道に本屋さんに立ち寄っていい本がないか探し、帰宅。
これが私の日曜日のルーティーンだった。
そんなある日、教会でやるイベントについての会議に参加することに。
地域から十人ほどの子どもたちが参加する結構大きなイベントだ。
そこで牧師の奥さんが「みんな思春期だから性について話すべき!」といきなり企画を提案してきた。
周りの人たちはそれに大賛成。
ただ一人、私はそれに反対した。
「学校以外で性教育をしてもどうせ忘れるから意味がないし、変なこと覚えたら大変だ」という主張をした。
いわゆる「寝た子を起こすな理論」だ。
すると周りからは苦笑が聞こえてくる、みんなの表情もあきれ気味だ。
非常に居た堪れない気分になったが、私は自分を曲げずに主張し続けた。
それを聞いていた牧師夫人から一言貰った。
「まだ若いのに殻にこもってるみたい」と。
すると他の人からは「教会の中だけで満足しようとする節がある気がする」「新しいことを学ぼうとしない姿勢がちょっとね……」等などの小言をいただいた。
さすがにカッとなりそうだったが、それに意味はないことを知っていたため怒らなかった。
ただ、自分がそういう風に見られていることに若干落胆した。
皆の小言の最後に牧師夫人がこう締めくくった。
「頑固すぎて周りが見えてないのがもったいない、だからもう少し柔軟性を持ってほしい」
こうして会議での小言の時間は終わった。
その後の会議は何をやるか以外すべて決まるスムーズなものだった。
ただ、私の感情は落ち込んだまま。
なんともズーンとした気分で帰ろうとしたら、会議を見ていた牧師に呼び止められた。
落ち込んでいる私を見かねたのか車で家まで送ってくれるそうだ。
正直一人になりたかったから有難迷惑。
しかし、牧師の好意を無下にするわけにもいかず送ってもらうことにした。
車中での会話は他愛もないものだった気がする、なにせもう覚えていない。
きっとさっきの会議での小言が頭の中をループしていたからだと思う。
私の家に到着したので感謝を伝えて車から降りようとしたその時、牧師が一言「もっと同い年の違う趣向の仲間がいたら刺激を受けるかもね」とぼそっと呟いた。
私はそれに返答できるような言葉が思いつかず「考えてみます」とだけ答えた。
部屋に入って布団の中に逃げても、頭のループは収まらない。
感情を押さえつけて理性的に考えようとするもうまく行かない。
その日はふて寝して終わった。
私はイヤなことがあるとすぐにふて寝をする癖があった。
次の日早めに起床し、昨日の出来事を思い返した。
確かに、頭が固いと言われればそうなんだろう。
でも、私は聖書に信頼を置いて生活に取り入れてるのだから、何も非難されることはしていない、少なくとも教会では……。
聖書は永遠の真理だから変化する必要がない、あの人たちが間違った世間に併合している、と結論付けた。
結局、いくら考えても埋まらない溝を自覚したに過ぎなかった。
逆に言えばそれくらいしか考えることはなく、大きなトラブルも起きずに平穏な日々を送っていた。
そんなある日曜日の礼拝に珍客が現れた。
私の特等席に先客がいたのだ。
見かけない姿だった。
彼女はツーブロックの長髪、左右長さの違う前髪ぱっつんで後髪をポニーテールにしていた。
何より目を引くのは髪の色が美しい金!
教会内で茶髪とかはそれなりに居たけど、金髪は珍しかった。
キレイな金髪に驚きつつも、普段とは別の場所に座っていつもと違う景色の礼拝。
そして礼拝後に牧師が彼女のことを紹介し始めた。
どうやら彼女は別の大学に通う学生で、一人暮らしのためにここの近くに引っ越してきたとのこと。
ひとしきり紹介された後、彼女は礼拝に参加していた人に向かって会釈をした。
そのあと急にマイクを要求した。
「マイク貸してくれませんかっ!」。
よく通る、甲高い大きな声だった。
牧師は慌ててマイクをもって彼女の元へと向かった。
彼女は待ってましたとばかりにマイクを奪い取るように受け取って再び自己紹介を始めた。
「初めまして!引っ越してきたcです!○○歳で大学に通ってます!専門は心理学で主にジェンダーとLGBT理解について!何か教えてほしいところがあったら聞きに来てください!」。
中々強烈な出会いだった。
私の方はまだ話しかけてもないが、すでに彼女がどういう性格か分かったような気がした。
少なくとも強気であることは間違いない、と。
強烈な出会いから30分後、昼食の時に話しかけられた。
意外にも先ほどの甲高い声とは打って変わって、低い声で大人しめの声色。
「こんにちわ、タンナさんですか?」
「はい、タンナです!cさんですよね、さっきの自己紹介非常に印象に残りました!」
「そう言ってくれてうれしい! それよりも社会福祉学部に所属しているとか……」
「あぁ、そうですよ」
「社会福祉学部では女性差別についてどう教えてるんですか?!」
「いや、まだ詳細な事例までは学んでいませんが、恐らくそういうことはジェンダー論の講義を取らないとやらないんじゃないかな?」
「ちょっとそれおかしい!」
cの甲高い声が食堂に響いた。
そして矢継ぎ早に「タンナさんは女性差別についてどう思いますか?!聞いてみたい!」と質問してきた。
私は返答に困った。
なにせ何も知識がないのだから。
そもそも社会福祉学部生の知見なんて講義で学んでないことは何も話せない。
しかも私は女性ではないから、女性差別なんて見えないし分からない。
なのであたりさわりのないように「いや、どうもなにも、今はそういうのってないんじゃないかな?」と返答した。
するとc大きくため息をついた、その落胆ぶりを表すかのように金色の髪の毛が左右に揺れた。
cは顔を上げて「そんなわけないっしょ!」と抗議した。
「ちょっと、大きな声で言われても……」
「もっと周りを見てみてよ!殻にこもってないでさぁ!」
つい数週間前に指摘された姿勢を言い当てられて腹の立った私は「はぁ?!分からない物は分かんないんだけど?!」と強く言い返した。
その後彼女は詳細な事例と判決から見える、社会にある女性差別を懇々と説明してくれた。
ただ、あまりにも情報量が多いためほとんど聞き漏らしていた。
だが彼女よりも大人な私は「分かりました、知識がないのでちょっと勉強してきます」と言ってその場を終えた。
彼女との会話は、大変心が動くものだった。
なにせたった十分話しただけなのにイライラしていたから。
正直、第一印象は最悪。
私が彼女と話していた時、悪意はないがどっかに消えてほしいと思った。
帰り路、普段通う本屋さんに立ち寄ってみた。
けれどめぼしい本が見当たらない、普段は立ち寄らないコーナーに入ってみるとたくさんの女性問題に関する書籍があったことに気が付く。
流行となった本はさすがに知っていたけど、こんなに書籍があるとは思わなかった。精々週刊誌の数ページに乗るぐらいだとばかり……
少し驚いて、そのまま関連書籍の2~3冊買おうと思ったが言いなりになるのが癪だったのでそのまま帰った。
感情を押さえつけて理性的に判断することを目標としていた私が、久々に感情によって行動を変えられた日だった。
打算的な行動の結果、時代の流れを直に感じるタンナ
そして時間が過ぎた。
大学生の長い春休みも終わり進級することになった私はゼミ選択に悩み中。
考え抜いた結果、志願して参加したのは一番厳しいと言われる女性の教授。
私の通っていた大学だけの話かもしれないが、社会福祉学部の教授陣は比較的優しい人が多い。そんな中で厳しい人を選んだ理由はもちろんレベルアップのためだ。
厳しい教授だったから倍率が低く、私はすんなりと志願したゼミに所属できた。
そしてドキドキの初回の講義。
いくら厳しいとはいえ初回からバリバリ講義を進めることはなかった、自己紹介と将来の目標とオリエンテーション的なものをやった。
皆緊張していて自己紹介は訳が分からないものだったが、緊張するほど真面目なんだと少し安心(私の自己紹介が一番意味が分からなかったらしいw)
ただ、その後はスムーズに講義が進み、時間が余ってしまった。
すると先生の専門と最近注目している分野について話してくれた。
先生の専門は社会福祉の中で障がい者が専門だった、そして最近注目しているのは目に見えない差別についてだった。
家父長制の問題とか部落差別とか本土中心主義とか。
いろいろと知らない言葉が出てきた。
そこで一番身近になってしまう差別を事例に持ってきてくれた。
セクハラについての事例だ。
ただ、その持ってこられた事例が我々にとってあまり衝撃的な内容で驚愕。
理不尽を煮詰めたような内容に、義憤めいた感情がゼミメンバーを支配していた。
だから私と他の何人かで「これが特別なだけでこんなことは少ない」「女性にも落ち度がある」という結論を導き出して、感情の支配から逃れようとした。
これがすべての間違いだった。
厳しくも優しい教授は我々のあまりの無理解さに憤慨。
こうして夏休みまでのゼミテーマが女性蔑視に関することに決定。
我々の反応は微妙だった、卒業後に使えるような知識を手に入れることを目的にしていた連中だったために、ただ他の人に親切にするための知識を欲していなかったというのが実際のところだと思う。
とにかく福祉で役に立ちたい=行政ともうまくやるための知識が欲しかった。
ただ、指導者が決めたことは代えられないので諦めて課題図書を読むことにした。
内心ちょっと嫌だった、cの言うとおりになるみたいで。
ただ、ここで教授に気に入られていろいろな場所に行けた学べることは多いと思っていたので悔しいけどいろんな書籍と図書館で読むことに。
とにかく、働くうえで意味のないことでも、教授に気に入られるのは後々助かることだと自分に言い聞かせて学び始めた。
何故なら私は感情よりも理性を重要視するから。
図書館にある本は大変読みやすかったので一日で二冊ほど読めた。
五日で八冊を読破。
私がどれほど馬鹿でも、次の日曜日には多少の知恵がついていた。
既になれなれしい金髪のcが遅れてやってきて「よっ!なんか本読んだ?」と聞いてきた。
私はしぶしぶ「物語が好きだからこの本読んでる」といって海外の有名なフェミニスト作家のエッセイを読んでいることを伝えた。
「へぇ~偉いじゃん」といってせっかくセットした頭に指輪だらけの手を置かれた。
少し腹が立ったので、私の価値観もまだまだだ古風だ。
cと私が歩く知的災いの道
その後も関連書籍を読み漁り、多少の知識が付いてきた。
すると不思議と周りからの評価が変わる。
教会でも大学でもそれまで話しかけられることは皆無だったのに、一日に三回は話しかけられるようになった。
これは驚異的だ。
今までは自分の知ってる連中が溜まっている場所へと向かい、適当にゲームとかそんな話をして大学から帰宅するのが日常だった。
だが、本をたくさん読んでいるところを目撃されるようになったらそれに興味を持って活動している人から話しかけられること事態が発生するようになった。
当然今まであったことのない性格の人や話しかけなかったであろう人間とも話すことになる。
だから、どんどん知らない価値観に触れられて勉強になった。
また、その人たちに誘われたイベントに参加したりして、絶対関われないような大人とも関係性を持てた。
そうなると、今までは普通だった状況や物事の進め方に違和感を覚えるようになり、今すぐ改善したくなった。
思ったが吉日とばかりに、持ち前の頑固さを駆使してゼミやサークルの問題点を指摘&改善を強行。
得た知識のおかげで私の評価は大学・私生活ともに急上昇。
教授からの顔覚えも良く、いろいろ参考図書を教えてもらってどんどん知識を得ていった。
副産物として、日曜日も楽しくなってきた。
cとも仲良しとまではいかないけど、普通に話せるようになった。
初対面の時に喧嘩腰で話し合ったことが嘘のよう。
彼女との関係性は少し年上の戦友って感じ。
実際は同い年だけど、彼女の方が知識・経験があったので先輩のように扱っていた。
そのことを教会の信徒に姉弟の様だとはやし立てられたときに彼女は姿勢を治してこういった。
「タンナとは友達以上で仲間未満の関係性なんです!」
確かにその通りだと思う。
友達以上の関係性ではあるけど、仲間ではない。
まだ名前のない関係性がcと私の関係。
他に年の近い信徒もいなかったこともあって、cと礼拝前と後で結構長い間会話したり、お昼ご飯の時には彼女独自の考え方について教えてもらっていた。
彼女はよく「女性に優しくない場所は基本的に男性にとっても辛い場所」という考え方であると主張していた。
この発想は当時の私にとっては新鮮だった。
時折彼女の勝ち気な性格や自分の知識を前提に話を進める癖に振り回されることもあったが、それ以上に楽しく心地の良い疲労感にハマっていた。
反対に、長年の悩みだったふて寝癖は消えつつあった。
こうして着実に新しい思想を受け入れることができていた私だが、根本的な部分は変わっていなかった。
つまり、伝統的な考え方がまず第一にあるということ。
それが誇らしかったし、根本を変える必要はないと思っていた。
何故なら聖書に基づく伝統的な思想は誰も傷をつけることがないから。
しかし、流れる時の中でそれが揺らぐ出来事が発生してしまった。
1つは、ゼミでのこと。
グループを作って研究して発表する機会があった。
そこで研究していると、一部のメンバーの勉強不足が非常に目立つ。
かなりそれが全体の研究に響いていた。
これではマズイ!
少し焦っていた私は、勉強不足のメンバーに対して激励をした。
理由はあるのかもしれないけど、その理由を乗り越えて頑張らないといけないといった旨の発言をした。
叱責するつもりはなく、とにかく元気づけよう必死になって声掛けをしていた。
でもそれが空回りしていたことが判明する。
数日後、ゼミの教授からそのメンバーがしばらく休むと伝えられた。
「プレッシャーがきつい」「求める内容が高すぎてついていけない」
かなり落ち込んだ、自分がそこまで引っ張り上げれなかったことに。
教授は気落ちするなと慰めてくれたが、耳に入らず一切心に響かない。
困難は重なり、私が教会でいつものように、純潔の重要さや親を敬うことのすばらしさについて語っていた。
すると、その話を聞いていた一人が「やっぱり私の考えって間違ってたんですね」と震えた声で話し始めた。
私は彼のことを元気な年下の人とばかり思っていたが、実際は親がかなり厳しく半ば逃げ出す形でここにやってきていたのだ。
また、ここに辿り着く前に生活のためいろんなことをしていた時期があったとこのと(特定回避のためいろいろぼかしています)。
彼はそのことを生きるために仕方のないことだと思って忘れようとしていた。
そして私の無神経な発言を聞いていくうちに自分の欠点を指摘されているようで、苦しくなり、思わずプロテスタントの信者で神父でもない私に告解めいたものをしてしまったそうだ。
私が唯一拠り所にしていた「伝統的な価値観は誰も傷つけることがない」というものが揺らいだ瞬間だった。
正直、かなり参った。
目標を定めて攻撃したわけではないが、結果的にそうなってしまったことに。
当然牧師夫妻に叱られ、そして考え方を改めるように暗に伝えられた。
本当にショックだった、自分の経験と思想をすべて否定された気になったから。
ゼミでの出来事と重なってのもあって、ついに苦難の時が来たと実感。
何とかしようとしたが、苦難を簡単に打ち崩すことはできなかった。
全てを投げ出したい気持ちを押さえつけ、ゼミでの研究発表を頑張るも結果は散々なもの。教授からの改善点が山のように届いた。
数週間に及ぶ苦難の時によって、完全に心が打ち砕かれて二週間ほど教会にはいかなかった。
体が弱ってい訳ではなく、単純に合わせる顔がないという理由。
二人で一人前だけどくっついてはない関係
平日ちんたらしていたらcから連絡が来て外で会うことに。
人と会う気分じゃないが、cならいいかと思って外出。
カフェで待っていると遠くの方から金髪の全身黒コーデの人影が見えてきた。
教会で見るとあまり目新しいところはないが、こうして外で見ると大変目立つ。
彼女がどういう気持ちでそのファッションを選んだのか聞いたことがなかった。
見た目に頓着しない間柄と言えば聞こえはいいが、結局のところ先週までの私の姿勢は彼女の生き方よりも彼女の持っている情報に興味があったんだ。
そう思って申し訳なさを覚えた。
cがカフェに入ってこちらにやってくると、いつもと顔色が違う。
普段は勝ち気だと顔色一つで分からせるほどの元気があったのに、どうにも浮かない表情。
そそくさと席に座るなり「先生たちに怒られちゃった……」と呟いた。
話を聞くと、彼女も周りの知識量を一切考えないで物事をズンズン進めて失敗したらしい。
そのことを牧師夫妻に相談すると、ちょうど怒られたばかりの私の話を伝えられて話したくなったと……。
私たちは再び意気投合し、傷のなめ合いを開始した。
とは言えそこは二人の関係性、すぐに改善策を話し合った。
私は彼女のすさまじいまでの知識を過信していたことに気が付いた。
だからそれをまっすぐ伝えた。
「cの知識はすごいと思う、それって反対に言えば周りの知識との差があるからそこを理解して進んだ方がいいと思う」と伝えた。
友達以上仲間未満の関係性だからこそ伝えれた私の感情だ。
cはその言葉を聞いきながら頷いてちゃんと聞いてくれた。
次にcは私の欠点を伝えてくれた。
「タンナは、自分のダメな部分をもう少し認めれば優しくなればもう少し他人に優しくなれるよ」と。
私はうなずけなかった、あまりに自分で考えたことがない発想だったから。
というのも、私は自分に厳しくしないとダメな人間へと向かうと教えられて育ってきたから。
私は確かに自分を厳しく律していた。
それはもちろん自分の見える範囲で。
だけど他人から見たらそれも甘々だろう。
それなのに完璧であるかのようにふるまっていた。
当然、反省することなく……
二人の間に心地のいい沈黙が流れた。
cにも思う節があったのかもしれない。
想像し得なかった他者からの視点を学んだ私たちはそのあとすぐにカフェを出た。
お互い何も言わずにハイタッチしてそのまま分かれた。
友達と仲間の間の関係性だから、必要以上の言葉はいらない。
ようやく私たちは感情の部分で通じ合った。
こうして私(おそらくcも)は苦難の時を乗り越えた。
苦しい経験から、私は接し方を改めどんな人にも合わせるようにした。
一人でズンズン進んでそれを押し付けるよりも、仲間を助けみんなでやっていく方が効率が良いことを学んだ。
だから今は何よりも一番先に周りが辛い目に合わないか、相手の気持ちを考えるようになった。
おかげさまで家族の危機を乗り越えることができた。
cもそれからは自分の知識のレベルを考えるようになったそうだ。
相変わらずの勝ち気な性格ではあるものの柔らかさを感じるようになった。
二人は主義主張が異なっていたが、結局のところ欠点だらけでその欠点がうまい具合に噛み合っていたんだと今になって思う。
牧師夫妻はすでにそのことを知っていてだから紹介したんじゃないか?
cと出会う直前の指摘もこうなることをわかっていたんじゃないか?
大人になった今そう考える。
本当に感謝したい。
cという友達と仲間の間になれる奴を紹介してくれたすべてに。
(ゼミを休んでいた人は後日復活、私は再三謝罪をしてみんなで勉強しあうグループを作るに至った。また落ち込んでいた信徒にも謝罪をして意外と共通点があることを知り今も友達)
小話
十時から初めて夕方五時に完成。前回より早く始めたのに遅くに終わった😿文字数はそこまで変わらないのに!
途中途中用事を終わらせていたとはいえ中々に遅筆。もっと素早くプロット完成させてたくさん書けるようにしたいと思いました。
ここまで読んでくださりありがとうございます🫏
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