タンナの物語風ライフログ

タンナの人生を物語風に伝えるブログ。

秘密主義者から解放者になって、最終的にステラーカイギュウ。

優しい奴ほど先に死ぬんだな、生き残ってる私が言うのもなんだけど。

 

(いろいろ話を変えてます)

 

 

 

恐怖によって秘密主義者となったタンナ

当時、私は大学4年生。

福祉施設でアルバイトをしていた。

運良くそこで内定が出た。

 

そこの施設が気に入っていたので、内定を受けることに。

 

 

後は学生生活の店じまいをするのみ。

既にサークルも引退していたし、卒業に必要な単位もばっちり足りていた。

こうして三年生の春休みの段階で、卒業までちんたらできる期間が一年あることが確定。

 

これ幸いとばかりに、書籍を読んだりや聖書研究グループに参加することに決めた。

とはいっても教会では毎日聖書研究をしているわけではない。

 

なので近隣の教会の若者が作っていた聖書研究グループに参加することに。

 

どうしてそんなことをするのかと言ったらやっぱり寂しいというのもあるが、たくさん時間をかけて聖書について学べる時間が人生でもう少ないとわかっていたからだと思う。

 

 

 

そして近隣教会の若者で結成されたグループでの聖書研究に初めて参加。

ただ、そこでの雰囲気が独特だった。

 

聖句をもとに自分の経験を話す雰囲気があって、私はそれが苦手だった。

どうしてもしどろもどろな返答になってしまう。

 

なんとかして自分の存在価値を発揮するべく私が選んだのは、司会進行の役割。

これなら実体験を話せなくてもできる、その上大学のグループワークや実習の発表会で培ったスキルを発揮できるという計算の元これを選んだ。

我ながら上手な選択だったともう。

 

 

そして次の聖書研究から司会進行役を買って出た。

今までの経験が生きて結構スムーズにできた、そのことを褒められたりもして非常に気分が良かった。

 

これに味を占めた私は、次もその次も司会進行を買って出た。

さすがに実体験を話さな過ぎたのか、参加していたお兄さんに「自分の話とかあんまりしたくないタイプ?」と聞かれてしまった。

 

どうにも返答に困った。

確かに私は自分の経験を話すのが苦手(今ブログやってるけどねw)。

 

ただそれは自分の為というより、過去の経験から自分の意見を発表することに対してトラウマが芽生えていたからだ。

 

ただそれをうまく言葉にできない状態にあったので、自分でもどうして実体験を話せないのかが分からなかった。

だから返答にはとってつけたように「大した経験してきてないんで……」と言った。

 

 

 

それに猛反発したのが参加者のお兄さん&お姉さんたちだ。

「なんの経験もしてないってこと?そんなことないと思うよ!」

「仕切りが上手いなら話せるよ!」

「勇気を出して!!」

等など。

 

大変ありがた迷惑な激励を受けた。

さすがにここまで言われたら自分の話をしないといけないと思い、自分なりに頑張って話した。

が、やはり恐れがあるからか、自分の体験1専門家の意見9みたいな内容のない発言をして終わってしまった。

 

てっきり、私の話を聞けると思った参加者たちは反応に困っている様子。

若干の沈黙の後、参加者の一人から「いい人だと思うけど、秘密主義者みたいで距離を感じるw」と言われてしまった。

 

私はその言葉に落ち込むよりも「自分が言葉を発せない状態」にあってそれが重篤な状態であると自覚した衝撃でぐったりしていた。

 

大学生活という人生の夏休み終盤に始まった聖書研究。

なかなか手厳しいスタートだ。

 

何せ秘密主義者だと自覚してしまったんだから

 

 

 

決意と出会い

その日も聖書研究で自分の体験談を話さないことを指摘され、意気消沈のまま帰ってきた。

確かにそうだ。

 

自分の能力に対してプライドが高く、とは言え嘘をつくのはメリットがない。

だから、比較的安全な司会進行ばかりやってきた。

大学内だと司会進行を張り切ってやるだけで褒められていたが、ここはそういう場所じゃない。

自分の意見を発表しないと……。

 

 

とは言え過去の経験で、自分の主張を貫き通していたら意図せず他人を傷つけることもあるということを知ってしまった。

知った以上は、その過ちを二度と繰り返さないように生きないといけない

 

かつて固く誓ったそれは、いまや呪縛となって私に襲い掛かっていた。

まぁ、因果応報ってやつ。

ただ、悪いことばかりじゃなく、そのおかげでで仕切ることは上手くなった。

 

 

次の聖書研究でも実体験のお話を求められた、なんとか話せる内容にしようと話したが恐怖が襲ってきて結局できなかった。

他の人の意見を持ってきて自分のことは伝えなかった。

 

私の体たらくに周りの反応も熱を帯び始めた。

「もっと人にさらす勇気を持たないと!」

「プライドを捨てましょう!」

 

 

さすがに疲れて聖書研究後すぐに帰宅した。

ただ、その回は収穫もあった。

 

私に足りないのは、さらけ出す勇気とプライドを捨てる覚悟だ!

それ以降自分の意見を補強するための情報を検索することを辞め、秘密主義者からの脱却を目標にした。

 

 

 

ある日聖書研究のために待ち合わせ場所に行くと見知らぬ男性がいた。

スラッと細長く、整えられた七三分けの髪型は育ちの良さを辺りに分からせていた。

 

メンバーの一人から紹介された彼は、他県の牧師の息子さん。

大学卒業後はすぐに神学校に入学するとのこと。

その目標に似合うほどのスゴイ聖書の知識があると紹介された。

 

彼が参加したその日の聖書研究はすごかった。

聞いたこともない解釈や前提知識が雪崩の様に出てきた。

ただその知識以上に驚くことがあった。

とにかく彼は厳しい。

 

他の人の聖書解釈をどういう理由で採用しているのかまで聞くほど。

実体験を重視しない彼はまさに聖書研究をしようとここに来ていた。

 

そして、話の流れで私の秘密主義的姿勢を伝えられた。

私はこっぴどく叱られると思っていたが、意外にも優しい口調で窘められた。

「タンナはプライドも高いけど他人に評価されることを嫌ってる気がする」と。

 

 

口調は穏やかなのに私の心はざわついた。

余りにも図星だったから。

正直ムッとしたが、特に反論はない。

 

黙って聞いていると彼は日向のような笑顔で「まずは他人を信用してみるところから始めないとね」と言って私の手に触れた。

 

 

聖書研究を終えて、帰宅している最中ずっと牧師の息子さんの言葉を思い返していた。

それほど衝撃だった。

今まで私が持っていた問題意識はすべて自分の中での話、あくまでも内面の問題で完結してた。

だけど彼の目線からはそう映ってない。

私の内面の問題よりも、私自身の信頼が問題だと。

 

 

これは大きな進歩だった。

正直遅すぎた感は否めないが、それでも卒業前に知れてよかった。

私が秘密主義者になったのは、過去のトラウマというより信頼観が原因ということを。

 

とは言え、今からその癖を治すのは難しそうだがそれでもやってみる意義はあるはず!

私は変わらないといけない、他人を信用しよう!!

聖書研究から自宅に帰るまでの二十分でこう決意した。

 

「これからは秘密を開放する、解放者になろう!」と。

 

 

 

展開する世界

他人を信頼するという基本中の基本をいまさら知った私はすぐさま実行に移した。

 

 

他人を信頼して、ちょっとずつ自分の考えを発信するようになった。

それは教会内、聖書研究、自宅で。

 

 

すると、心の壁が壊れたのかだいぶ話せる人が増えてきた。

同時に今までの姿勢がどれほど私の周りに影響を与えていたのか分かった。

 

とにかく秘密主義者は恐れられる。

例え、危害を加える考えなんてないとしても、周りからしたら何かを隠している人としか思われない。

それが見えない恐怖を駆り立て、私を恐怖の対象として認識するに至ったんだと思う。

きっとその影響が聖書研究にも出てたんだろう。

 

だからメンバーは私に対して少し熱のこもった指摘をしてきたんだとその時になってわかった。

 

 

こうして解放者となった私は、ちょっとずつ発信することにより、自分の考えを公表することへのハードルが下がっていった。

 

 

それは今までの自分を壊すようないい影響を与えていた。

まず自己肯定感が高くなった。

他人を信用して、自分のことを開示すると気分がいい。

気分がいいとすべてを肯定したくなる。

結果的に自己肯定感も高くなった。

 

そしてその肯定感によって表情も変わっていった。

表情が変わってきたので周りからの反応も上々。

それらの相乗効果により、解放者としての私は自信に満ち溢れていた。

正直、すべてがうまく行ってると疑わなかった。

 

 

自己承認欲求ともまた違う、開放感が故の心地よさ。

それにしばらく酔っていることにも気が付かないほど。

 

 

 

酔いも冷めない日々にも終わりが来る。

それは完全に私のせいだった。

 

他人を信用するのはあくまでも第一段階だということを忘れて、そこにとどまり続けた。

本来の目的は他人への信頼感の欠如が故の秘密主義から脱却することが目的だったのに。

 

他人を信用してすぐにそれが他の場所に影響が出たように、私の成長の停滞もすぐに他の場所に影響が出た。

 

最初に変わったのは自分の言動だった。

他人を信用するところまではいいが、信用する相手に自分の理想像を押し付け、それの意にそぐわないと被害者ぶったり反対に自分のプライドを押し付け始めるようになった。

 

昔のままだったら、指摘され落ち込んで塞ぎ込むだけで済んだ。

でも昔と変わってるから指摘されても拒み、自分は悪くないという姿勢を貫く始末。

 

変わったのは私の言動だったが、それが周りの反応を変化させるまでに時間がかかる。

人間、嫌な奴を目の前にすると指摘するよりも関係を持つことを回避し始めるからだ。

だからずっとそのままで生活を送った。

 

 

そんなことにも気が付かずに夏、熱い議論を交わしていると思ったのかメンバーが通っている牧師がやってきた。

牧師の息子とメンバーの牧師による熱い議論が続き、他の人間はどうにも発言を控えている感じだった。

 

 

開放感に酔っていた私は、自分の経験から考えを語った。

それ自体は参加者は褒めてくれたが、その考えが良くなかった。

余りに自分の思想を押し付けすぎて、聖書そのものを否定する発言をしていることに気が付かなかった。

 

 

牧師は「君の意見は分かったけど、それは聖書研究じゃないよ」とぴしゃり。

自分の解放感を邪魔された私は食って掛かった。

「私が考えてることだからいいじゃないか!聖書の解釈も時代に合わせて行うべきでは?」と。

 

しかしこれは、そのグループ内の聖書研究の理念に反していて、その場にそぐわない発言だった。

「君は今他人を信用しているがそれは雰囲気によるもの、少なくとも聖書によるものではない」って牧師に怒られてしまった。

 

 

良かれと思って幸福の絶頂に居た私は一気に立場がなくなり孤独と恥を知った。

遅すぎる喪失体験。

 

しかも解放者が喪失体験をするという矛盾は静かに自分の生活を蝕んでいった。

 

 

ステラーカイギュウ絶滅を知るタンナ

大学四年生ってのは面倒な時期。

誰も上からモノ言ってくれる人はいないし、みんなが自分に期待していると錯覚する。

錯覚とは言え心地の良いものだった。

それを自分の欠点によってすべて失った。

 

 

しかも言い返せないほど完璧な反論、その上教会の偉い人である牧師に言われてしまった。

そのころ生活の軸を聖書研究グループに置いていたので、本当にすべてのやる気が消失。

 

牧師に怒られて帰宅し、それから何日も部屋から出ずに寝たり、かといって他の友達とも話が合わなくなって話さない日々が続いた。

 

なにより皆はまだ就職活動中だから忙しい。

私はそれも終わってるし他にやることが見つからない。

 

完全なる孤独を経験することになってしまった。

 

 

朝起きて、ゲームして疲れたら夕方まで寝てそれから朝方までテレビを見る生活が、大体一か月ほど続いた。

 

 

そんな私にも救いの手が差し伸べられた。

 

それはある動物のドキュメンタリー。

 

ドキュメンタリーの主役はステラーカイギュウというデカいジュゴンみたいな動物だった。

彼らは群れの仲間が傷つくとみんなで集まって危険を回避しようとする習性があるようで、それを利用されて人間の手によって絶滅しているようだった。

 

 

ずっと前に絶滅してるから姿かたちは想像で作られたものだったけど、ジュゴンみたいな連中が仲間を守るために集まる姿になぜか感動してしまった。

 

落ち込んでいたこともあるだろうけど、ステラ―カイギュウと自分を比較してどうしようもなく落ち込んだ。

動物ですら仲間を守るために体を張るのに、私が優先していたのはプライド以上に傷を負いたくないという気持ちと危なくなったらすぐ逃げるための準備。

 

それは生き物として当然なんだけど、私は人間なのでそれ以上のことを知らないといけない。

かつて固く誓ったように、知った以上改善をしないといけない。

 

 

ステラーカイギュウのドキュメントを見終わった私は落ち込むのを辞めた。

これからは人に寄り添う発信をしようと誓った。

 

秘密主義から近代ステラーカイギュウへの変身

一か月ぶりに参加した聖書研究。

実体験を話していたのは若い女性。

クリスチャンではない彼氏と旅行に行って性行為をしてしまったと後悔しているようだった。

 

その後悔はすさまじい勢いで今にも暴れそうな勢いだった。

 

 

確かにクリスチャンとしては褒められた経験ではないが、そんなことよくある話。

大体のクリスチャンは何かしら人に話せない様な欠点を持ってるもんだ。

私は「その経験自体を庇うわけじゃないが、似たような状況があるのでそこまで攻められない」という主張をした。

 

少なくとも一人じゃないということも付け加えてその女性に伝えた。

 

 

他のみんなも同じような体験をしていたのか、必要以上に攻める必要がないこととだからこそ聖書が必要なんだという結論に達した。

 

 

今までの私なら、きっと自分の考えを押し付けていたと思う。

だけど、ステラーカイギュウを知った今はそういうことをしたくないと素直に思えた。

ただ問題がないわけではない。

未だにプライドは捨てられないし、他人を信頼するまでに時間がかかる。

 

だけど、プライドは捨てられそうにないが、どうせなら「みっともない部分をさらけ出す自分にプライドを持つ」ことにした。

 

みっともない自分を知りつつ、それを隠さない。

そして、そのみっともない部分に恐れを抱いている仲間がいれば、傷が癒えるまでそこにいる。

 

ステラーカイギュウは絶滅してしまったが、ここに近代ステラーカイギュウが誕生した。

 

 

人間から動物になってしまったが、たぶんいい方向に向かっていると思う。

 

これまでも同じようなことをしてきたが、日々新たにされて行きたいと思えるようになったのはこの出来事が源流だ。

 

 

小話

今まで文字数が多すぎたと自覚したので、3千文字ぐらい減らした。おかげで突貫工事の記事ながら執筆時間は大幅に減った。今後はもっと内容を高めつつ文字数を増やしていきたいと思いました🫏

ここまで読んでくださりありがとうございます🫏

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